宮島研究室 - Since 2006.10.20

廣原修一くんのこと(2008.1.29)

廣原くんは、僕の友人でゲームプログラマーです。

SNK社時代はネオプリ(プリクラの別メーカー製品)のプログラム部分に、そしてKONAMI社に移ってからは、家庭用ゲーム「悪魔城ドラキュラ」シリーズのプログラミングに携わっていました。

その足跡は今も、下記の公式ページで見ることが出来ます。

  • 「悪魔城ドラキュラ 闇の呪印」公式ページ→
  • 「キャッスルヴァニア」公式ページ→
  • リンク切れの場合はコチラ→

また、彼が取得した特許は、下記の特許検索等で見ることが出来ます。

kantan Tokkyo Kensaku

(そのまま「特許検索」ボタンを押してください)
  • 「画像処理装置、画像処理方法及びプログラム」特許公開2006-164168
  • 「画像処理装置、画像処理方法及びプログラム」特許公開2006-235748
  • リンク切れの場合はコチラ(pdfファイルです)→pdfpdf

廣原くんは昨年、脳に腫瘍が見つかり、大変な手術をしました。

手術は成功し、退院後は、抗がん剤治療をしながら職場に復帰、一人暮らしも再開していました。

ただ、抗がん剤の副作用は、とても辛そうでした。


1月の第3週末、急に連絡が取れなくなったそうです。

心配したお身内の方が彼の部屋に行ったところ、廣原くんはソファに腰掛け、本を読む姿のまま亡くなっていたそうです。

なお、苦しんだ様子は全然なかったそうです。


退院してからは、毎日「mixi」に日記をつけていた廣原くんでしたが、後から確認したところ、1月16日を最後に彼の書き込みは止まっていました。

その頃僕は、引越ししたてでネット環境がなく、母の癌も重なって本当にバタバタしており、友人から電話をもらうまで、全然その事に気づきませんでした……。


90年代頭、ゲームセンターのサムライスピリッツの対戦を通じて仲良くなった廣原くん。

毎週末には、ゲーセンの閉店後も解散せずに、店の前でとりとめのない話をして夜を明かしました。

冬場に、鼻をすすりながら笑う彼の姿、今でも時々思い出します。


「偉くなって、作ったゲームに僕を声優で使う」なんて話もしてたけど、叶わなくなってしまったね。

ずっと廣原くんの思い出をまとめようと頑張ってたけど、辛くて全然書けなくて、遅くなってごめん。


――いつか俺がそっち行ったら、またサムライスピリッツで対戦しようぜ!

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